2012年7月18日水曜日

石巻市:避難所、待機所

実行委員長の岩本です。

今回は震災直後の様子を紹介したいと思います。

私が当時、ボランティアとして関わらせていただいた避難所があります。
この避難所は石巻市にありました。幸い、避難所となったこの中学校は小高い丘の頂上にあり、津波による被害は免れました。
しかし、石巻駅もあるこの地域は市内で数少ない人口密集地でもあり、この山に逃げた人たちは大勢いて、中学校などの避難所がいくつかありましたがどの避難所も人でいっぱいでした。浸水した地域の水が引いたあとは避難所から出た人がいるものの、たくさんの人が帰る場所がなく避難所に残らざるを得ない状態が続きました。
ライフラインや救援物資などのルートが確保できた後はお弁当やパンなどの配布が始まったものの、このような生活がずっと続く中で精神的に疲れる人が多数いました。
当時の東北教区支援室は大韓聖公会から届いた辛いカップヌードルを全員分用意したり、その他必要な救援物資を全国から送っていただきお届けしました。
避難所の方々は自身が大変なのに、その度に私たちに笑顔でお礼を言い喜んでおられました。


冠水した道路


避難所の中の様子

夏も終わり秋になると、仮設住宅もどんどん建てられ、主に学校の体育館を使用していた避難所は授業が始まった事により、閉鎖される事になりました。
ほとんどの人が仮設住宅に入居するものの、スーパーや病院に近い仮設住宅はすぐに定員に達し、車で移動するしか手段のない不便な立地条件の仮設住宅が多く残りました。
このような仮設住宅に持病を持ち定期的に病院へ行かなければならない方や高齢者が入居することは非常に困難です。
この結果できたのが待機所と呼ばれる避難所のような場所です。
私たちが関わらせていただいていた避難所にも待機所へ行かざるを得ない状況の方が数人いました。
待機所も避難所と同じく、しきりのないホールのような場所です。震災から半年以上経っても避難所生活を強いられている人はたくさんいました。
私たちはその方を毎週訪ね、お話をしたり、時には必要な物資を持って行ったりしました。そして、最後は待機所から仮設住宅への引越のお手伝いをしました。


最後まで行く場所が決まらなかった待機所の方

待機所の掲示板

今現在も避難所や待機所で出会った方々を訪ねたりして、繋がっています。まだまだ彼ら、彼女らの普段どおりの生活は取り戻せていないと言われます。
東日本大震災はまだまだ現在進行形で続いています。



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